簡単な感想
「アドラー心理学」について対話形式でわかりやすく解説したもの。
欧米ではフロイト、ユング同様に有名だそうだ。
へー知らなかった。
しょっぱな
「トラウマなんてもんはない。自分で作り出しているのだ」
「人間の悩みは全て対人関係」と言われて衝撃。
それもあって最初は新鮮で面白かったけど、
「怒り」「褒める」「注目されたい」についての話は
「それ物事を一義的に捉え過ぎじゃない?」ってとこもあって、微妙。
でもこんな考え方もあるって知る事ができたのは良かったかな。
実践できた暁には聖人君子か、しあわせウサギになってそうだ。
ところどころ仏教の「刹那滅」や、陶淵明の漢詩を思い出しながら読んだ。
2日くらいで読めたので、概要をさっと知りたい人には有用。
捉え方次第
「トラウマなんてものはない」らしい。
アドラー心理学では、「目的のためにトラウマを作り出す」と考える。
- 「不安だから外に出ない」×
- 「外に出たくないから不安を作り出す」○
過去に何があろうと、すべていまの自分の捉え方次第。
厳しくもあるし、希望のある考え方でもあるなあと思った。
かくいう私にも、生きてきた中で辛かった出来事はいくつかありまして。
人にそれを話す機会があったんですが、
その時は「いい話だと思ったよ」と言われました。
自分にとってはただの辛い思い出で、
まさかそれがいい話になるとは思ってもみなかったのですが。
結局、それを乗り越えて今いるわけで、
そこに目をやれば「いい話」になるんでしょうね。
捉え方次第ってそういうことなのだろうなーと。
そう捉えてくれる、その人自身がいい人なんだろうなーとも思います。
ありがたい。
手、置いときます
- 「相手の課題に手を出さない、自分の課題に手を出させない」
これはよくわかる。
近すぎず遠すぎず、適度な距離が必要 (*1)。
「じゃあ困ってる人がいても助けないのか、冷たい人間になれと?」
というとそうじゃなく。
「手は差し伸べるが、その手を取るかどうかは君が決めてくれ」
というスタンスかなあ。
- 「相手が自分を嫌うかどうか、
それは相手の課題であって、自分がどうこうする事じゃない」
難しいけどできたら楽。
嫌われることを恐れていては、自分は自由にはなれない、とな。
- 手を放す → 置いときます
陶淵明『閑情賦』の最後を読んでから自分の中で手放しブームがきてたんだけど、
ブクログのレビューでも似たこと言ってる人がいた。
荷物もっと軽くしていいってことなんだろうな。
ついでにその手を届くところに置いといて、貢献感味わえればお得感増々。
ジェットコースターのとこ:
Voice of Stone #1601 NHKスペシャル - ポアンカレ予想をめぐる人間ドラマ
怒り
- 「怒りは出し入れ可能なコミュニケーション道具。
怒らずに目的を果たすことは可能」
なるほど。
でも怒りがモチベって人をみると、コミュ道具としての役割だけとも言い切れない。
自分に合った方法を選べばいいんだと思う。
- 公憤
ネット界隈だと、第三者の境遇について怒るのをよく見かける。
最近のだとこれかなあ……
これって公憤になるのかな?
私もたまに熱くなってしまうんだけど、本では軽く触れてるだけなので処方に悩む。
たぶん基本は当事者の課題であるが、助けの手は置いとく、
という考え方になるのかな。
コンビニの件は道義に適った決着をみたようだけど、
当事者同士なあなあで済ませたい場合に、
第三者が激高してことが収まらなくなるケースもあるし。
それは助けたい人を困らせてしまうから、自分も気をつけないとなー。
良い距離をとらないといけないね。
あと、「勝った」っていう書き込みがよくあるけど、あれが「権力闘争」かー。
人生は連続する刹那
仏教の「刹那滅」を思い出した。 >ぐるぐるまわれ。「輪廻」アドラー心理学は因果律を認めないんだけど、うーん。
考え方似てると思う。
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