2014-10-21

『嫌われる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教え』★3

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

簡単な感想


「アドラー心理学」について対話形式でわかりやすく解説したもの。
欧米ではフロイト、ユング同様に有名だそうだ。
へー知らなかった。

しょっぱな
「トラウマなんてもんはない。自分で作り出しているのだ」
「人間の悩みは全て対人関係」と言われて衝撃。

それもあって最初は新鮮で面白かったけど、
「怒り」「褒める」「注目されたい」についての話は
「それ物事を一義的に捉え過ぎじゃない?」ってとこもあって、微妙。

でもこんな考え方もあるって知る事ができたのは良かったかな。
実践できた暁には聖人君子か、しあわせウサギになってそうだ。

ところどころ仏教の「刹那滅」や、陶淵明の漢詩を思い出しながら読んだ。
2日くらいで読めたので、概要をさっと知りたい人には有用。


捉え方次第


「トラウマなんてものはない」らしい。
アドラー心理学では、「目的のためにトラウマを作り出す」と考える。

  • 「不安だから外に出ない」×
  • 「外に出たくないから不安を作り出す」○

過去に何があろうと、すべていまの自分の捉え方次第
厳しくもあるし、希望のある考え方でもあるなあと思った。

かくいう私にも、生きてきた中で辛かった出来事はいくつかありまして。

人にそれを話す機会があったんですが、
その時は「いい話だと思ったよ」と言われました。

自分にとってはただの辛い思い出で、
まさかそれがいい話になるとは思ってもみなかったのですが。

結局、それを乗り越えて今いるわけで、
そこに目をやれば「いい話」になるんでしょうね。
捉え方次第ってそういうことなのだろうなーと。

そう捉えてくれる、その人自身がいい人なんだろうなーとも思います。
ありがたい。


手、置いときます


  • 「相手の課題に手を出さない、自分の課題に手を出させない」
    これはよくわかる。
    近すぎず遠すぎず、適度な距離が必要 (*1)

    「じゃあ困ってる人がいても助けないのか、冷たい人間になれと?」
    というとそうじゃなく。
    「手は差し伸べるが、その手を取るかどうかは君が決めてくれ」
    というスタンスかなあ。
     
  • 「相手が自分を嫌うかどうか、
     それは相手の課題であって、自分がどうこうする事じゃない」

    難しいけどできたら楽。
    嫌われることを恐れていては、自分は自由にはなれない、とな。
     
  • 手を放す → 置いときます
    陶淵明『閑情賦』の最後を読んでから自分の中で手放しブームがきてたんだけど、
    ブクログのレビューでも似たこと言ってる人がいた。

    荷物もっと軽くしていいってことなんだろうな。
    ついでにその手を届くところに置いといて、貢献感味わえればお得感増々。
     
(*1) 結び目の話でむかし見た番組思い出した。
ジェットコースターのとこ:
Voice of Stone #1601 NHKスペシャル - ポアンカレ予想をめぐる人間ドラマ



怒り


  • 「怒りは出し入れ可能なコミュニケーション道具。
     怒らずに目的を果たすことは可能」

    なるほど。
    でも怒りがモチベって人をみると、コミュ道具としての役割だけとも言い切れない。
    自分に合った方法を選べばいいんだと思う。
     
  • 公憤

    ネット界隈だと、第三者の境遇について怒るのをよく見かける。
    最近のだとこれかなあ……
    これって公憤になるのかな?

    私もたまに熱くなってしまうんだけど、本では軽く触れてるだけなので処方に悩む。
    たぶん基本は当事者の課題であるが、助けの手は置いとく、
    という考え方になるのかな。

    コンビニの件は道義に適った決着をみたようだけど、
    当事者同士なあなあで済ませたい場合に、
    第三者が激高してことが収まらなくなるケースもあるし。

    それは助けたい人を困らせてしまうから、自分も気をつけないとなー。
    良い距離をとらないといけないね。

    あと、「勝った」っていう書き込みがよくあるけど、あれが「権力闘争」かー。
     

人生は連続する刹那

仏教の「刹那滅」を思い出した。 >ぐるぐるまわれ。「輪廻」

アドラー心理学は因果律を認めないんだけど、うーん。
考え方似てると思う。

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