2007年のメモ。
まえがき(限定本に収められたもの)
娘のテレーズの詩 (p6-7)ネビュラ賞授賞式での出来事
「島の博士の死」(p9-18) → あとがき「特別な贈り物」
デス博士の島その他の物語
- 「きみ」が主語(二人称現在)だから、自分が物語の中に入った感じがする。
例えばランサム船長とタッキーが握手をかわす部分。
ぐん!と自分の背が伸びたような気持ちに。 - 主人公の名前を紹介する手法がすごくいい。
- 「スポットライト」
光の当たるところと当たらないところのイメージが浮かぶ。
物語は人生のある部分だけが抽出され、語られるもの。
物語である『デス博士の島』と同様、タッキーの話もそういう書かれ方。
「ショウを演じる」 → パーティー? - 『島』から抜け出た人物たちは周りにも見えている節があるので、
そのままに受け取る。
その前の接触も特にタッキーの妄想として読んではいなかった。
現実と地続きの文だったため。
タッキーの住む島も陸と地続き。 - 「きみだって同じなんだよ」
『デス博士の島』にも、タッキーの物語を含む『その他の物語』にも、
結末はやってくる。だけど、本をまた読み直せば、みんな帰ってくる。
『デス博士の島』という物語、
『デス博士の島』を読むタッキー、
そのタッキーの物語を読む私。
入れ子状のつくり。
そして、それぞれのレベルは相互に干渉しながらも、閉じられている
(物語には終わりがある。そして、この作品から受ける孤独感によってそう感じる)。
もし物語の中を生きているとしたら、
人はその中を生きることしかできないが、
誰かまたページを開きなおして会いに来てくれる人がいるかもしれない。 - 世界が閉じていることだけに目を向けると悲しみしか感じないけれど、
下のレポにある「読書の力を書いた小説」というのは、その通りだと感じた。
END_OF_SCAN:デス博士トークショーレポ
アイランド博士の死
つらい。
物語の最後で自分も主人公と同じように閉じ込められて、
もう出られない感覚が強く残った。
前の作品では、
主人公の見る世界は『デス博士の島』から影響を受けるが、
この話では主人公たちの感情が島に影響を与える…
そういう相関性が、いろんなところではたらいているらしい。
再読して考えたいが心痛でしばらく読めそうにない。
上記トークショーで、「癒しの物語」という話題が出ているが、
これもまだ私にはわからなかった。
芭蕉の俳句 「荒海や 佐渡によこたふ 天河」
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno28.htm#ku2
「死の島の博士」にも閉塞感はあったが、
脱出を狙う野心がみえたので「アイランド博士の死」の読後感よりは気分が楽だった。
アメリカの七夜
魅惑的。この読み物には仕掛けがあると教えてくれているので、
たしかにわかりやすい。
次に悩みながら読むのが面白そうだ。
眼閃の奇蹟
ボロ泣きする。最後がこの物語で良かった。
リトル・ティブの夢?から現れるキャラクター → 「デス博士の島その他の物語」
memo: 「入れ子」→ アクロイド『原初の光』冒頭、ケプラー
関連リンク
syzygy note:トークショーレポ柳下日記 2006/02 リンク切れ(癒やしについての補足があった)
ジーン・ウルフ勝手に広報部 リンク切れ
『乱視読者のSF講義』
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