2013-05-06

『湿地』アーナルデュル・インドリダソン

湿地 (Reykjavik Thriller)

あらすじ

雨交じりの風が吹く、十月のレイキャヴィク。北の湿地にあるアパートで、老人の死体が発見された。突発的な事件と思われた。ずさんで不器用、典型的なアイスランドの殺人。だが、現場に残された三つの単語からなるメッセージが事件の様相を変えた。しだいに明らかになる老人の隠された過去。レイキャヴィク警察犯罪捜査官エーレンデュルがたどり着いた真相とは。
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レイキャヴィク(アイスランドの首都)
の警察署。 >
本屋大賞の2位ということで手にとった。

著者自身が「アイスランドの伝承文学サーガに倣い、簡潔で的確な表現を心がけている」 (p331) と言う通り、癖がなく読みやすい。
ただ地名や名前に馴染みがない音が多く、ちょっと慣れが必要だった。レイダルフィヨルデュルとか、すごい地名だな-。

町並み。
陰鬱な本の内容とは
変わってカラフル。 >
物語の組立ても「章ごとにその内容を箇条書きしろ」と言われれば簡単にできるくらい、各章の役割がはっきりしている。
クリミナル・マインドやメンタリストみたいな1話で完結する無駄のない米ドラマの作成術を思い浮かべたが、著者は映画評論の仕事をしていたそうだ。なるほど。

読み終わったあとは、ただただ悲しかった。
特に心に残ったのは以下の2点。

以下、ネタバレあり。

◆ ◆ ◆

「人はこんなことに影響など受けないと思うものだ。こんなことすべて、なんなくやりこなすほど自分は強いと思うものだ。年とともに神経も太くなり、悪党どもを見ても自分とは関係ないと距離をもって見ることができると思うのだ。そのようにして正気を保っていると。だが、距離などないんだ。神経が太くなどなりはしない。あらゆる悪事や悲惨なものを見ても影響を受けない人間などいはしない。へどがのどまで詰まるんだ。悪霊にとり憑かれたようになってしまう。一瞬たりともそれは離れてくれない。しまいには悪事と悲惨さが当たり前になって、普通の人間がどんな暮らしをしているのかを忘れてしまうんだ」
(p222)

ここまで様々な悲劇、厄介事、惨めさ、悪夢に晒された主人公エーレンデュルが、溜め込んだ鬱憤をぶちまける場面。

このセリフは彼の心の底からきている、とても強いものだと思える。
だが私には、「彼がここまで溜め込むほどだったとは…」と、少し意外な気がしたのも確かだ。
おそらく本の文章が簡潔ですらすら読めるため、悲惨な事態に実際遭遇しているエーレンデュルよりも内容を軽んじてしまっているせいだろう。
対岸の火事化。
彼の見てきたものを、ちゃんと見ていないのだ。

レイプについての悲痛な話を自分の耳で聞き、
彼が見たまだ4歳の子どもの墓を自分の目で見て、
降り注ぐ雨を自分の体で受け、
卑劣なエットリデを自分の言葉で罵り、
床下の悪臭を自分の鼻で嗅ぎ、
アクセルを自分の足で踏みこんではいないのだ。

自分のことのように想像してみればエーレンデュルと同様、疲労感でへとへとになる。

裏を返せば、この小説をただ読むだけではこういう「実感」を与えられなかった、もう一度想像力を働かせて補わなければならなかった、ということかもしれないが。
でもここで一度意識のすり合わせをしたおかげで、小説をより楽しむことができたように思う。
書いてて思ったが自分、なんかイタコみたいだな。

◆ ◆ ◆

「夫はかならず帰ってくるとわたしにはわかっています。息子のためにわたしたちは力を合わせなければならないのです」
彼女は捜査官たちを見上げた。
「あの子はわたしたちの息子です。これからもずっとわたしたちの息子です」
(p294)

このお母さんの言葉がなあ…。
結末を読んでからだと、本当に悲しくて涙が止まらなかった。
共に苦しみを抱えながら歩いてくれる人たちがいたのに、彼はそれでも自分を許すことができなかった。
一緒に歩いていくことができなかった。

◆ ◆ ◆

むかし犯罪実録ものかミステリーかの本で、人をひとり殺すことは、人がひとり死ぬだけではない、みたいな文章を読んだ記憶がある。人間の社会、関係性というのは蜘蛛の網のように広がっていて、人をひとり殺すということは、そのひとりから繋がる周囲の人たちまで飲み込んで、腐らせてしまうことだと。
この事件はまさにそういう事件だ。
一人の男のレイプ犯罪から、そいつの部屋の悪臭みたいに網の腐敗が広がって、もう元には戻らなくなってしまった。

後味が悪い作品ではない。けど、やりきれなさが残る。



現場に残されたメッセージ「おれはあいつ」がなぜ救世主コンプレックスになるのか、ちょっと把握しかねた。
「I am HIM」と言えば、あちらの人たちにとっては「僕は神だ」をすぐ頭に思い浮かべるってことなのかな。


メモ

哀愁のJar City@レイキャヴィク | Kyrill's Weekend Wild Space

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